舞踏と音楽 2
 

――昔々、まだ私が若かった頃、ある大がかりな舞踏公演に音楽で参加させていただく機会がありました。
会場も大きく、出演者も多く、音楽は私を含めて3〜4人がかりのものでした。
演出/主演のメイン舞踏家さんからは、大まかな構成と、私の担当シーンと、各シーンの大まかなテーマのみが伝えられました。

この公演に、私が勝手に混入させたいと考えたのは、“グノーシス”でした。
当時の私を衝き動かしていたのは、社会に対する圧倒的な憎しみや、ひいては“造物主”に対する憎しみまで、
もろもろの“グノーシス的なるもの”だったからです。
この、「グノーシス的なるものを音に反映させたい」という衝動は、当初、誰にも口にすることはありませんでした。
ただただメインの舞踏家さんの要求に応えつつ、それでいてグノーシス的でもあるものを黙々と作り続け、それらはそのまま採用されました。
メインの舞踏家さんにもグノーシスについては口にしませんでしたし、他のミュージシャンの方々に至っては、
それぞれがそれぞれの分担シーンの音楽を提示するのに夢中で、ほとんどコミュニケーションすらとることはありませんでした。

その公演全体が“グノーシス的な作品”になるらしい事に気づきはじめたのは、リハーサルがかなり進んでからでした。
他のミュージシャンの方はエリック・サティの「グノシェンヌ」を演奏する。
メインの舞踏家さんはグノーシスの図版のように踊る。
大勢の舞踏家さん達の群舞はグノーシスの信者たちのような身振りをやっている。
最後の大団円には、グノーシスとカバルの合わせ絵のような群舞の中で、メインの舞踏家さんが中空に猛然と手を掲げ、
その中で「あなたに存在する資格はない」という、ある意味“どグノーシス”なタイトルが付けられた私の曲が響く、という状況となったのです。

公演が終わってから、メインの舞踏家さんに「グノーシスをやろうとしたんですか?」と聞いてみたら、グノーシスをご存知ない様子でした。
「グノシェンヌ」を演奏したミュージシャンの方に「あれはなぜやろうと思ったんですか?」と聞いてみたら、
「いや、ああいう曲もあったほうがいいかな、と思って。特にダメとも言われなかったし」とおっしゃっていました。
つまり、

その公演は、出演者にもスタッフにも判らない何処かから、グノーシス的な“何か”が深く関わっていたのです。

その後、インターネットやヴァーチャルリアリティ、携帯電話、オウム真理教事件、援助交際などが社会に生じ、
さらにそれらの一見何の脈絡もない現象が「変形グノーシス」「グノーシスの亜種」などと呼ばれるようになった頃には、
公演から10年くらい経っていました。

「亡き子をしのぶ歌」なんて曲を作ったら、その後に自分の娘が死んでしまった、
ある日突然「○○族の音楽が聴きたい!」と思ったら、その数年後にその部族が紛争でひどい事になった、
ベルリンの壁を天使が行き来するような映画を作ったら、ほんとに壁が崩れちゃった、
―そんな話は古今東西いくらでもあります。

なぜそんなことが起きるのかは、全く判りません。

ただ思うのは、「それに変にとらわれないこと」だ、ということです。
「自分がやったからこういう事が起きた」とか、「自分には予知能力がある」とか、仮にでも思わないこと。
正夢ばかり見ている人が夢だけを頼りに生きていたら、いつかひどいしっぺ返しを受けることでしょう。
第一、そういう事が生じた作品が、必ずしもクオリティが高いとか、評判がいいとは、限らないみたいです。(現にこの舞踏公演の評判は、あまり良いとは言えないものでした。)
それに、上記のような意味で未来を垣間見せてしまうような作品は、最近は個人的にも世界的にも、めっきり減りました。皆無と言ってもいいくらいです。そういう時代なのでしょう。

やはり私たちは、過去と未来の間、理想と現実の間、意識と無意識の間、個人と社会と世界の間、
“感じてばかりで考えようとしない態度”と“考えてばかりで感じようとしない態度”のあいだを、
迷いながら悩みながら、時としてゆがんだりもしながら、暮らしていくしかないのかもしれません。


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