墓まで持って行く言葉

墓まで持って行く言葉が増えるのはつらい。
その言葉が、慎重に、本当に注意深く語られるならば、
事態が好転するかもしれない場合、
その言葉を本当に墓まで持って行くべきなのかどうか、
ひどく考え込んでしまう。

本当に深く考え込んでいると、ふと、
「これらの言葉を生涯語らないということについて、
この世のいかなる契約書も届かない深い場所において、
既に契約が為されているのだ。」

と気付く事がある。

言語化出来ない生命の源泉には、
言語化可能な、日常的とすら言える言葉もまた、存在しているらしい。

…あるいは、その言葉を「語らない」という契約のみが、
つまり、その言葉を語らない“根拠”だけが、
その場所に存在しているのかもしれない。

言ってはならない事というのは、実際には、
言いたくない事だったり、
言うのが怖いだけだったり、
言うべき時が来ていなかったり、
本当は言うべき言葉なのに、言うべきではないと思い込んでいたりする場合が多い。

しかし、
死ぬまで口にしてはならない言葉は、
私達の内に、
今も語られないまま、
確かに存在している。

Copyright © 2003 Mushio FUNAZAWA
2003/3/4 upload
3/11 推敲


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