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1999年の近況選

―'99 12/28、柔らかい近況

ここのところ、1カ月位血尿が出ていた。
内視鏡。造影剤。細胞診。
癌ではないらしい、との事。
でも一向に原因が解らない。
わからないまま、止血剤を飲んでから血尿は出なくなった。
そして激しい虚脱感、ふらつき。(多分、薬の副作用。)
これのおかげで、年末、CDを置いてくれているお店に挨拶してまわるつもりが、出来ませんでした。すいません。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥みなさん、よいお年を。

―'99 12/15、柔らかい近況

体調不良。満身創痍。
病名不詳。検査中。

―'99 11/22、柔らかい近況

常識を疑って見ること。
自分の頭で考える、ということ。
信じ込む事を、やめるということ。
そうしていくことで、人は独立していく。
独立していくことで、人はしばしば、無力になっていく
周囲のリズムに、もはや合わせられなくなっていくのだ。
今日もどこかで、自分の頭で考えない人々が、
自分の頭で考える人を憎んでいる。笑っている。
**
無茶苦茶な"常識"を信じてしまっている人々が現われても、
自分の頭で考えない人々は、それが自分達のかもしれない、とは思わないようだ。
もしかしたら、人々はその鏡から目をそむけるために、
高らかに笑いとばしてみせるのかもしれない。
自分(達)は彼等とは違うんだと、自分(達)に納得させたくて。
**
自由を得ていくのは難しい。
得た自由に耐えるのも、難しい。
それが哲学の本なんかに書いてある「への自由」ではなく、
いつでもどこでも意識化できる「からの自由」であってもだ。
**
そういえば、最近私も寂しい。
孤独から逃げず、しかも孤独と戦わず、それでいて孤独に負けない、ということの、
何と難しいことか。

―'99 11/16、柔らかい近況

言葉は流産しうる。
流産しない為には、しばしば流出をも避けなければならない。
どこかに回答があるような気がする。
無いかもしれないが。

―'99 11/3、柔らかい近況

いろんな人がいろんな事を言う。
それは避けられない。
注意深い言葉、という難しさ。
しかし、沈黙すら、安易なものになりうる。
安易な言葉、安易な沈黙。
注意深い言葉、注意深い沈黙.....。

―'99 10/26、柔らかい近況

多分、大量の脱落者が出る。
誰が脱落するか、あまり定かではない。
脱落しない、と信じている人の多くも、脱落するだろう。
‥‥‥…
…‥‥私は残れるのだろうか?
判らない。
〜これでは何の事か、解らないですね。すいません

―'99 10/19、柔らかい近況

久しぶりに、高橋巌著「神秘学序説」を数週間かけて読み返す。
読み終わって顔を上げ、時計を見て、カレンダーを見上げたら、
35歳になっていた。

―'99 10/12、硬い近況

「つきのあまへり」は、終了致しました。

―'99 10/5、柔らかい近況

たとえば、誰かに出会い、話しをして、別れて、一人になった時、
全く唐突に、
多くの人が、存在する事すら知らない、内面の奥の奥、その中心の中心に、
ざっくりと傷が入っていることに気付く事がある
「人と出会うというのは常にそういうことだ」、とは思わない。
ただ、出会いというものはいつもうまく行くとは限らない、ただそれだけのことなのだ。
さて、多くの人がその存在すら知らない、内面の奥の奥、その中心の中心に、もしも、ざっくりと傷が入ってしまったら、どうすればいいか。
卑小な感傷をすするのではなく、
他の誰かに発散するのでもなく、
鬱々と閉じこもるのでもなく、
致命的揺り戻しが来る事も知らずに忘れてしまうのでもなく、
枝を切られた樹が、その法則にしたがって――多少ひしゃげたりはするだろうが――新たな葉と枝を出そうとするように、自然に再生するのを、邪魔にならないように、見つめていること。
‥‥‥もちろん、これが誰にとっても、どんな場合でも正解、とは思いませんけど。

―'99 9/28、柔らかい近況

膝をかばうと、腰が悪化する。
腰をかばうと、膝が悪化する。
綱渡り的日常。
そのうえ、
ほんのわずかな夜更かし、
ほんのわずかな早起きで、
自律神経が壊れた蛍光灯のように激しく明滅する。
身体って、微妙なもんだ…やれやれ‥‥

―'99 9/20、柔らかい近況

先週の続き。
よくよく思い出して見ると、どうも私は元々膝がよくないらしい。
中学くらいの頃、膝が痛くて病院に行ったら、特に病名、症状の説明もなく、医者に
「…っ、ダメだなこの膝ぁ!」
と言われたのを思い出した。
今回も(別の)病院に行ったら、特に病名は言わず、
「ぅーん…靱帯かな…。」
と言われた。多分靱帯が傷んでるか何かなんだろう。
「そっとしときゃ治るんですか?」という問いに、
「うん。」
と言っていたので、とりあえずその言葉を信じておいて、数ヵ月治らなかったらまた考えよう。
病院で湿布、接骨院でサポーターをもらう。

―'99 9/14、柔らかい近況

腰痛防止に、しゃがみ/座りをすべて膝を使って行い、日々を暮していたら、
先日、突然、膝に激痛が走る。
非常に鋭い痛みで、以来、膝を使った動作が痛くてほとんど出来ない。
全くひどいことになった。
何をするにも「手すりがほしい…」と思ってしまう。
これではまるで老人ではないか。
しかも、膝(と腰)をかばっていたら、今度は足首が痛くなってきた。
日常的な、ごく基本的な動作が、蝕まれていく。
とりあえず、病院に行ける数日後まで、体がもつ事を祈るばかりだ。

―'99 9/7、柔らかい近況

空気が静まり、
植物が疲れ、
虫たちが そこ ここ に仰向けて 静かに死んでいるのを見ると、
ああ、秋だなぁ、と思う。

―'99 8/31、硬い近況

偶成天の出演したEx...it!'99は、終了致しました。

―'99 8/24、柔らかい近況

耳たぶの手術跡がどんどん大きくふくらんで来て、黒ずんだ紫色になり、痛いので再び皮膚科へ。
手術した所の血管が切れて、血がたまり、化膿しているとの事。
注射器を耳たぶに射して、中の膿(うみ)ぢゅぅぅぅぅっと吸い出す。
注射器を抜いたあと、針で穴のあいた耳たぶを指でぎゅぅぅぅぅっとしぼり、膿をしぼり出す。「うはは…」と小声で笑うほど痛い。
そして今年3発目の抗生物質をもらう。
耳の周辺がやけに化膿しやすいのはいつからだろう、と考える。
去年くらいから、とも思うが、よくよく考えると生まれつきのような気もしてくる。
…何なんだろう....。

―'99 8/17、柔らかい近況

新作に向けて、システムを改変中。まず、デジタル・ミキサーとハードディスク・レコーダーを購入。これらはまだ届いていないが、これに併せて録音周辺のワイヤリング(配線)を全面変更。ちょっとした電気工事並み。しばらく仰向けになって呻いたまま動けないほど疲れる。アルバムを置いて頂いている各店舗に電話をしてみたら品切れ等で追加注文を頂く。あわてて数日かけて納品手続き。又心身疲労で仰向けで呻く。腰痛対策にベッドのマットを買い換える。家具屋を半日さまよう。歩き疲れてまたまた仰向けで呻く。
駅で何か訳の判らない事を言っている自分に気付き、自分で思っている以上に、相当にストレスがたまっている事に気付く。原因を自分の中に探すが、どうやらシステム改変の為にしばらくシンセを弾いていない事らしい、と思い、中途半端な配線のまま、しばしの間シンセを弾きこむ。…多少はマシになったようだ。でも身体の疲れはとれないので、最近唐突に聴きたくなったジャズ(コルトレーン、ハービ・ハンコック等)を聴きながら2日位じっとしている。疲れがとれたあたりで墓参り。しばし墓石としゃべる。…やっぱりおかしい。多分、新作が頭のなかで育っているので、その悪阻みたいなものだろう。
…‥‥そんなお盆でした。

―'99 7/27、柔らかい近況

…暑っ。

―'99 7/22、柔らかい近況

先週の続き。
粉瘤(アテローム)には、(多分医学的根拠はないと思いますが)オイル等の湿潤が非常に良いらしいとMLで教えて貰い、軟膏やら、D●Cオリーブオイルやらを塗っていたら、数日で、小さいものはほとんど外側に向けて破裂〜消失した。
大きいものは“消失”には至っていないが、少なくとも全部手術という事態は、回避されたようだ。
…持つべきものは良いML。

―'99 7/14、柔らかい近況

粉瘤(ふんりゅう。アテローム)という良性腫瘍が耳たぶにいっぱい出来て、「一度には無理だ」ということで、とりあえず1ヶ、手術にて切除した。
手術自体は、虫歯の治療よりも全然楽なもので、15〜20分位のものだったが、抗生物質で胃腸の具合が暫くヘンだった事、耳たぶを濡らさないためにしばらく洗髪禁止だったこと、そしてなにより、耳たぶにでっかいガーゼを当ててそっとしておかなきゃならないのでヘッドホンができず、抜糸までまるまる1週間ほとんど仕事にならなかったことにかなり参った。
でも、悪い事ばかりじゃなかった。
まず、仕事にならないのでとりあえず健康のためにあちこちを散歩していたら、幕張に、「千葉県にこんな店があったのか!」と真剣に驚くほどすばらしい品揃えの古本屋を見つけた。--あそこなら、時折寄れば永い事探していたあんな本やこんな本も、きっと入荷することだろう。
そして、「1ヶ手術するたびに1週間仕事にならないのは本当に困るので、漢方かなにかで治せないものでしょうか」と某MLに問い合わせを流したところ、とある医師の方から、
涙がにじむほど親身で、
大笑いするほどユーモアがあり、
驚くほど示唆に富み、
絶句するほど強力かつ思いがけないシンクロニシティを含んだメールを頂く。
別にそのメールに“手術せずに治す方法”が書いてあった訳ではないが、そのメールによって、どうやらこんなショボいデキモノが出来た事にも、深い深い意味が込められているらしい事に気付く。
月並でダサくてキザな台詞だが、人生とは実に不思議なものだ。

―'99 6/2、柔らかい近況

CDが売れない。
私だけではないらしい。
某大手CDショップに行ったら、インディーズCDが1000円均一在庫一掃セールになってて、中には「この人インディーズか?」と首をかしげるような高名な人のアルバムもまじっていた。
売れてる人は売れてるんだから、人々がいろんな音楽に興味を向けなくなってきた、という事かもしれない。それに、深刻な不景気もあるのだろう。(先日CDショップで、二十歳位の若い男が「ぁんだよ何でベスト盤が1500円もすんだよーっ!」とキレて叫んでいた。)
CDに限らず、経済にかぎらず、今後2年位、個人的にも社会的にも、本当に様々な事が本当にたいへんだろうな、という予感がある。
みなさん、なんとか、元気で、しっかり過ごして、21世紀にも無事にお会いしましょう。

―'99 5/18、柔らかい近況

ある店で、陳列されている美術書を見るともなしに眺めながらコーヒーを飲んでいたら、突然、何かが明らかになった
インスピレーション。
予感の意味。
次回作の完成は、まだずっと先になります…多分。

―'99 5/11、柔らかい近況

何とかなりそうな、どうにもならなさそうな、うまくいきそうな、難しそうな、奇妙な予感。
大きなイメージが、像を結びつつある。

―'99 4/26、柔らかい近況

全くひどい、ただ激しいだけではなくて、まるで空が、空そのものが疲れ果ててぼろぼろと崩壊して落ちてきた様な、ほんとうにひどい雨が降った。
今日は晴れているが、あの異様な雨音が体から抜けきれないで、いまだに立ち直れずにいる。
台風みたいな元気さもなく、長雨の様な静けさもない。.....あんな雨、はじめて体験した。

―'99 4/20、柔らかい近況

相変わらず異様に忙しいです。雑事も多い。考えることも多い。作らなきゃいけない音も多い。様々な問題も多い。漠たる予感も多い
書きたいことをまとめる時間もありません。

―'99 4/6、柔らかい近況

やれどもやれども、
仕事が減らない..というより、
やれどもやれども、
じわじわと仕事がたまっていくような、
そういう忙しさで、
ちょっと参ってます。

―'99 3/3、柔らかい近況

私の場合、
「だまされたと思ってやってみろ!」と言われて、
だまされなかったことはない。
「扇動に気を付けろ!」と扇動するつもりはないが、
私自身は、扇動に気を付けている。
最近、やけに不穏な動き、色々出て来てるし。
不穏な動きに反対する人達も、結局扇動的だったりするし。
無視が一番いいのかというと、そうでもなさそうだし。
色々、難しい。

―'99 2/23、柔らかい近況

最近、なぜかイーノの「ディスクリート・ミュージック」ばかり聴いている。
極端に多忙だという訳でもないのに、非常に疲れている。
消化器系、呼吸循環系にも、奇妙な事が起こっている。
頭もうまく回らない。
もしかしたら、神経系統に新たな不調があるのかもしれない。
この不調は、体験したことのない種類のものだ。
何がなんだか、判らない。
不眠症があるものの、とにかく早めに横になるようにしている。
多分、心か身体のどこかに、タチの悪いトリックスターがいるのだ。
経験では、トリックスターというものは、身体〜肉体にも宿るものなのだ。

―'99 2/8、柔らかい近況

‥この欄に書くこと(書きたいこと)が、ものすごく多い。
こういうときは、書かない方がいいように思う。
曲と同じ。
具現化したい音があまりに多くて落ち着かない時というのは、
何かを忘れていたり、
何かが間違っていたり、
あるいは、何かの前触れだったりすることが多いように思うのだ

―'99 2/2、柔らかい近況

周囲で、ものすごく色々な事が起こっている。
なのに、当の私自身は、その巨大で、さまざまな出来事を、
断片的にしか知ることが出来ない。
何かが動いている。
何かが生じている。

―'99 1/12、柔らかい近況

なにかに、たとえば些細なことに、腹を立てたりする。
あるいはそれは、腹を立てていることに自分ですら気付かないほど、
些細なことかもしれない。
それは、恐ろしいことに、
なくならない。
何年も経てから、
同じ形で、あるいは巨大に膨れ上って、
場合によっては全く別の形で、
再来する。
ストレスをため込んで、ためたまま、
ぽっくり死ねるとは、限らない。
かといって、「"投げ合い"が一体どういう事なのか」も、
多くの人が、
注意をはっきり向けてはいないにしても、
薄々、理解している。
やはりここにも、処方箋はないのだ。
このような、なしくずし的な時にあって、なお、
思考は、激流の中の小島、といえるだろうか。
あるいは、思考は、激流の中の小島、であり続けられるだろうか。

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