私の音楽
 

ずいぶんと小さい頃の話で、いつごろの話なのか、幼稚園に入る前か、入ったあとか、よく覚えていません。
私は公園で、一人で何かをして遊んでいたんだと思います。砂場で遊んでいたのか、ブランコだったか、よく覚えていません。
知らない子が話しかけてきました。
よくよく思い出すと、そのとき私に話しかけてきた子は、二人だったような気がします。多分、兄妹か何かだったような気がします。ずいぶんと「おおきいおねえさん」だった気がしますが、今思い返すと、その子(達)は多分、まだ中学生にはなっていなかったろうと思います。
一人だったか、二人だったか。
話しかけてきたのは女の子だったような気もしますし、男の子だったような気もします。

「目ぇつむって、アーンしてごらんっ。」

この、不思議な勢いに満ちた、人を引き付けながら、それでいてすでに逃げる準備をしているような、奇妙な早口のリズムを、私ははよく覚えています。
わたしは、目を閉じて、"あーん"しました。

じゃりっ。

口に入ってきたのは、キャンディでもチョコでもなく、砂がべっとりとこびりついた小石だったのです。
驚いて、じゃりじゃりじゃりっと石を吐き出しながら目を開くと、その子は、投げたボールのような勢いで駈け去っていました。
その、オーバーでもなんでもなく、まるで世界そのものが駈け去っていくような後ろ姿(のような光景)を、私はよく覚えています。
今にして思えば、あれが、私が生まれてはじめて体験した他者だったような気がします。

今でも時折、人と話をしたりしていて、相手に悪意が有る無しにかかわらず、あのじゃりっという舌の感触を思い出すことがあります。
あるいは、人が何を言っているのか判らず、「あの人は何が言いたかったのだろう」としきりに考えこんで、その人が言いたかったことを理解した瞬間、じゃりっとした感覚をおぼえます。
そんな時、それに対応して、私の中に、人に伝えたいことが生じます。
それは、他者に対する答えのようなものだったり、批判のようなものだったり、捧げもののような何かだったり、さまざまです。
それは、ウィルスに対する発熱や疱瘡、あるいは外界に対する鏡像のようなものかもしれません。

--私は、思っていることを人に伝えるのがかなり苦手なほうだと思います。
自分が思っていること、考えていること、伝えたいことを言葉に"まとめる"のに、人よりも時間がかかってしまいます。
時には数時間、数週間、数年かかることもあります。
その"まとまり"は、あたかも10ヶ月以上も胎内で過ごした子供が数時間で生まれて来るように、ある日、突然に、多くの場合かなりの苦痛を伴って、短時間のうちにたち現われます。
そしてその“まとまり”はなぜか、非常に多くの場合、言葉や概念ではなく、表象像、すなわち音楽として生じるのです。
そうでないものも多少はありますが、基本的に、私の場合、音楽はこのような経路を経て生まれてきます。(ゲーム音楽等はもちろん違う経路--多分ほかの音楽家の皆さんの多くと同じ経路--を通して作っていますが)
ですから、私の場合、アルバム全体というのは論文-あるいは長い手紙-を書くような感覚で、1曲1曲は1章1章を書くような感覚で、作られています。(この「感覚」という言葉が、どうもその状態を正しく言い当てていないような気がするのですが、「気分」じゃなし、「考え」じゃなし、「意志」というのもちょっと違う、もちろん「コンセプト」なんかじゃない、結局うまい言葉を見つけられませんでしたので、そのままにしました。)
私のアルバムは、楽しまれるためというよりは、むしろ伝達されるために作られているのです。
私のアルバムを買って下さって、
「君の音楽の無意味さが好きだ。」
と手紙を下さる方や、
「あれ聴くと、気持ち良くってすぐ眠れちゃうんです」
と言って下さる方や、
「どういう時にかけるためのCDなのか、用途がはっきりしない」
とアドバイスを下さる方も、もちろん、大切な、かけがえのない、お客様です。(ほんとです。イヤミじゃありません。)
ですから、もしかしたらこんな事は、書くべきではないのかもしれません。
それでも、私は、自分のアルバムを、その伝達事項を、理解して下さる方が少しでも増えてくれたなら、などと考えてしまうのです。


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