時間の逆流部分について
過去が使えない。未来が見えない。
だから“今、この瞬間”に掴み取られて身動きが取れなくなり、
静止したまま狂奔せざるを得ない。
(そういう場合、往々にして実際には“今、この瞬間”にすら立てていないのだけれど。)
そしてこれは、ある程度この時代において仕方のないことらしい。
だとすれば、当面最も重要な問題は何か。
未来からこちら側に、いわば逆に流れてくる時間を取り戻すこと。
私は、多くの人が、時間の逆流部分について無意識的過ぎたのだと思う。
なぜこれ程までに見えなくなったのか判らないけれど、
時間は、はっきりと、未来からも流れている。
音や映像のリバース再生とは似ても似つかないし、
老後なりなんなりから逆算して人生を考えるとかともちょっと違う、
未来から今に向かって流れてくる時間の大河。
逆流した時間が現在に結果を引き起こすとき、まれにシンクロニシティ(共時性)として知覚される場合もあるが、
基本的に大部分はある種の“感情”の流れとして知覚され、過去めがけて遠ざかっていく。
これに対する感受性を取り戻せるか。どこまで遡って知覚できるか。
死にたいと思わなくなったからといって、生きたいと思えるわけではない。
この事実と、時間をどのように知覚するかという問題のあいだには、つながりがある。
最も本質的なつながりというのは、往々にして直接的なつながりではないものらしい。

(C)2005 Mushio Funazawa
2005 3/29 初稿 Upload


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