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聴かない訓練

舞台にしても映像にしても、何に音楽をつけるときでも、 私たち音楽に携わる人間が、作業の過程で言われることでしばしば傷つき、滅入り、腹を立てる言葉に、

「それと音楽となんの関係があるんだ?」
とか、
「お前の言ってることは意味ないよ。みんなは音楽を聴いてるんだからさ!」

というものがあります。

例えば、ゲーム音楽を作っている場合。
ゲーム中の音楽が鳴っている最中に、何かアイテムを手に入れたファンファーレも鳴らさなければならないとします。
これが滅多に出てこない重要なアイテムなら、元々鳴っていたBGMの音量を一時的にプログラムでゼロまで下げ、ファンファーレが鳴り終わったらBGMの音量を元に戻すわけですが、ゲーム中に頻繁に入手する「ちょっとしたアイテム」の場合、元のBGMは下げずに、効果音と同様にファンファーレが“ただ鳴る”ようにするケースがあります。
“ゲーム音楽家”の腕の見せ所です。あるBGMに対して、どの時点で同時に鳴っても異常に聴こえないファンファーレ

ところが、ファンファーレが完成しても、該当アイテムの出現頻度や入手時の嬉しさの演出が、作っていくうちにゲームの側で変更されていく場合があります。
又、用途を説明されずにただファンファーレを作れと言われて、作って、実際を見たらBGMと同時に鳴って音世界がグシャグシャになってるのを聴いて慌てる場合もあります。
そういうとき、
「同時に鳴るなんて聞かされてなかったから、BGMをC(ハ長調)で作ってファンファーレをF#(嬰ヘ長調)で作っちゃった、このままではCの曲とF#の曲が同時に鳴っちゃう、だからファンファーレを半音あげてG(ト長調)に変えたいので、データを差し替えさせてくれ」、
とか言ったりすると、言われることがあるわけです。

「そんなさー、シャープがどうしたとかさー、そんなの誰も聴いちゃいないってばー。みんなは音楽を聴いてるんだからぁ!
もちろん、「だれも聴いちゃいない」わけではありません。そう言うご本人が、30分ほど遊んだ辺りで、「あー、ウルセ。」と呟いてテレビを“消音”してしまう。その呟きから消音までの全動作を、無意識裡に行っているに過ぎません。意識化できないだけなのです。

―以上は、ありがちな音楽に対する無理解―特に西洋近代音楽理論至上主義に対する無理解―へのぼやきではありません。前置きです。
問題は、これに非常に近いことが、音楽に携わる者同士の間でも起こるのはなぜか、ということです。

実は、音に携わる者たちはみんな、「聴かない訓練」を積んでいるのです。

判りやすい例として、オーケストラのヴァイオリニストを挙げさせていただきます。(もちろん、ヴァイオリニストは耳が悪いとかそんな事言いたいはずがありません。どうかお気を悪くなさらないで下さい。)
ヴァイオリンという楽器を思い描いていただくと判りますが、まず、フレットがない。
そして、音がやや小さい。
そして、非常に大勢の方々と合奏することが多い。
ですからヴァイオリンを弾く方々は、多くの場合、非常に強い音程能力をお持ちです。絶対音感なんてザラです。
そして、大勢で合奏すること、それぞれの皆さんの音が小さめであることから、
壁からの反射音なども含めた音全体から音程だけを抽出する訓練を日々積んできた方々です。
つまり、音程以外を聴かない訓練を積んできたとも言えるわけです。 「オーケストラを換えたら基準ピッチが1ヘルツ上がった。なかなか慣れない。自分の音が出せなくなって困ってる」とおっしゃるほどの凄まじい音程感覚をお持ちのヴァイオリニストがしばしば、
位相差を全く聴き取れない理由はここにあるのだと思います。
それこそ、左右のスピーカーが逆相でも気づかない。
ステレオスピーカーから左右逆相で交響曲なんか鳴り出したら、一般の方でも「なんか変」くらいは思うでしょうし、エンジニアさんだったら後ろにのけぞるくらい異常な音に聴こえるはずです。
でもヴァイオリンをはじめとするオーケストラの弦関係の方々は、反射音=位相のずれた音もひっくるめて聴いて、そこから音程だけを抽出する修練を積んできたせいでしょうか、全くそれが聴き取れない方が多いようなのです。
レコーディング現場で「位相がずれて気持ち悪い」とみんなが言ってるときに、「そんなの音楽と関係ないでしょ?」と言って顰蹙を買ったりするのは、耳が悪い方ではなく、位相ずれを聴かない訓練を積んだ方だったりもするのです。

クラシックの作曲の方ですと、“音程が動く”ということに耳の能力を特化させた方が多いようです。
それも、基音に対する感受性を高めた方が多い。
そういう方が、「周波数は1オクターブ上がると倍になる、1オクターブ下がると半分になる」という知識を学んだり、楽典に書いてある音域と周波数の対応表(もちろん基音記述)を頭に叩き込んでいたりすると、しばしば困ったことが起きます。 ピアノの一番下の「ガーン」っていうラの音を上げたいときに、エンジニアさんに、
「27.5ヘルツを上げてくれ」
と言ったりするのです。
(要するにピアノの一番低いラが「ガーン」と鳴ったとき、「自分は今27.5Hzあたりの音を聴いている」と思っているのです。ちなみに、低音を楽しむために改造された自動車で低音を楽しむための曲を大音量で鳴らしてる車が通りがかったら、聴こえてくる低音はだいたい80Hz近辺と思ってください)
それに、ピアノの一番上の「キン」っていうドは基音で4KHzちょっとですので、
「音楽にとっては4kHzあたりから上の周波数は本質的には何の関係もない」
と言ったりもします。
そしてCDとMDとMP3を比べて聴いても、違いがぜんぜん判らない。
現に、ちょっと古めの楽典だと、“ピアノの一番下の音は1秒に27.5の振動数、一番上の音は4186の振動数である。この27.5〜4186の振動数の中に音楽に必要なすべての音が存在する”と断定している楽典とか、まじであります。クラシック以外のミュージシャンやエンジニアの皆さんが唖然とするようなことが、クラシックの辞典では基本的、客観的事実として平気で書いてあったりするのです。

エンジニアさんにも色々な方がいます。
4万分の1秒のデジタルノイズにはすぐ気づく能力を持ってるけど、曲が半音上がっても全然気づかないし、音楽的な変化が起きたとも思わない人もいますし、
電源ケーブルを取り替えたら「ぜんぜん別の曲になった」と思うほどの耳を持ってるけど、ベートーベンとモーツァルトの違いはいくら聴いても判らない人もいます。
以前、エンジニアさんたちの集まりにお邪魔した際に、テレビでライブ中継が始まったことがありました。
1曲目が始まった途端、皆さんそれぞれ雑談してたのが一瞬静まり、次の瞬間に爆笑が巻き起こりました。
曲が終わるまで、クスクス笑ってる人がいます。
どういうことなのか訊いてみると、「1曲目のスネアにかかっていたコンプレッサーのアタックタイムがものすごくダサかった。あまりのダサさにテレビを聴いてなかった人の耳にもその音が飛び込み、みんなが爆笑した。その後、エンジニアのセンスがダサいのではなく、何らかのアクシデントだったようで、1曲を通して少しずつ少しずつスネアのコンプのアタックタイムが改善されていった。1曲を通してばれないように、すこーしずつアタックタイムをいじっているのがおかしくて、みんなクスクス笑っていたんだ。聴いてて判らなかった?」
はい。判りませんでした。

耳は、何かを発達させると、それ以外の能力が沈黙してしまうもののようです。
いや、むしろこう言うべきでしょう。
「何かを聴く訓練をするということは、それ以外の全てを聴かない訓練をするということだ」、と。

商業音楽の世界で、アレンジャーが音程、音符を監視し、エンジニアが周波数分布やノイズを監視し、マニピュレーターが音色を提供する、という3人体制での録音作業が長い期間「王道」でしたが、これは「違うものが聞こえて、違うものが聞こえない者3人」の最も効率的な作業であったわけです。

これを書いている現在、製作過程にはもはやこれといった「王道」はなくなったように思えます。
皆さん、めいめいの耳を発達させ――つまり人それぞれ“何かを聴かない訓練”を積んで、何かを目指し、何かを失い、何かを聞き落としながら――音楽をやっています。
多くの音楽家がそうであるように、私もまた、この混乱した時代で、混乱した生活を送っています。
私には何が聞こえていないんだろう、
この人には何が聞こえていないんだろうと、
そのつど悩みながら。

―以前、無我夢中でシンセを弾いていたときです。
曲を作りこみ、音色を作りに作りこみ、曲を弾きに弾きこみ、
“録音”をクリックして、魂のままに弾き、“停止”をクリックしました。
スピーカーの前に向き直り、返して聴いてみると、
ーーーー、と電源ノイズが乗っています。
使い物になりません。
どこで入ったんだこのノイズ!?とシンセに向かうと、
はじめから電源ノイズが乗っていたことが判ったのです。
シンセと魂を繋いで音色を作り、魂と身体を繋げて弾く訓練をしている最中、
私は、アナログメーターが振れるほどひどい電源ノイズすら聴き取れない人間になっていたのです
複数の聴く訓練=聴かない訓練をしても、それらは同時には使えないもののようです。

だれかと仕事をするとき、
自分は聞こえない人間だと思って敬意を持って相手に接すること、
相手は聞こえない人間だと思って注意を持って相手に接すること。
もちろん、これだけでは全く不十分です。
正解もマニュアルも、一切ありません。
私たち音楽家は、わからず屋の集まりだと自分に言い聞かせること。
少なくとも私は、自分はわからず屋なんだ、と思うようにしています。

自作曲を自演し、自分で録って自分でミックスする。
多分私は、共演、共作が最も苦手な種族の一人です。
他人のことなどとやかく言えるような者ではありません。
こんなことを書いている私にとっても、
この悩みは、生涯ついて回るのだろうと思います。
ですからむしろ、特別に共作能力の無い一人の無能者だからこそ気付き、
文章にまとめたのだとお思いになって下さい。
この文章が、音楽に携わる方々の一助となれば幸いであります。

(C)2006 Mushio Funazawa
2006 8/23 初稿 Upload
2008 1/6 推敲
2008 4/7 推敲


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