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1998年の近況選

―'98 12/14、柔らかい近況

体調がちょい悪化。
身体にしても精神(厳密にいえば心魂)にしても外的状況にしても、
本当にキツい事は、意識のからやってくる。
意識化するのもまたツラい。
意識化が完了すると、さらに深い処に『意識の外』が生じる。
で、その新たな『外』から、新たな苦痛がやってくる。
時折、苦痛の原因の究明〜解決というのは、さらなる苦痛へと向かう作業のように思える。
時折そう思えるだけだ。実際にはそれだけという訳ではない。
ただ、
身体にしても精神(厳密にいえば心魂)にしても外的状況にしても、
この構造、このプロセスは、ものすごくよく似てるなぁ、と最近思う。

―'98 11/10、柔らかい近況

前々から思っていたのだが、高橋巌と河合隼雄の対談って、実現しないものだろうか。
シュタイナーとユングの間にある近くて深い溝についてや、今日の時代が抱える諸問題について、あのご両人が語り合ってくれたら、随分と興味深い〜本来ならばもはや「興味深い」などという表現が不適切なくらい興味深い〜ものになるように思う。
この取り合わせの対談を誰も思いつかないなんて事はありえないので、おそらく何らかの事情でまだ実現していないんだろうが、どこかで、出来れば早いうちに実現すれば素晴しい事だとと思う。出版界はひどい不況だそうだが、これが実現―刊行されても、少なくとも赤字にならない位には売れる…気がするのは私だけか?(そういえば、こないだユングとヘッセの書簡集が出てる事を知り、本屋に問い合わせてもらったら、思いっきり絶版だった。私がほしいものには入手困難なものが多いが、当人としてはひねくれてるつもりも気取ってるつもりもない。まじで読みたいだけ。)

余談だが、高橋巌氏について、
「あんなのは高橋巌風シュタイナーであって、シュタイナーではない。」
という批判〜その批判には時折、憎悪-それも自ら憎悪と認めないことによって絶望的に膨れ上った憎悪-が含まれているように思える〜がある事は前々からある程度知っていたが、最近になって、河合隼雄氏についても、
「あんなのは河合隼雄風ユングであって、ユングではない。」
という批判がある事を知る。
モノがモノだけに、仏教が日本に来て禅になったり、ラーメンがシルクロード渡ってパスタやうどんになったり、リュート属にサーズや琵琶があったりするような多様性がユングやシュタイナーに生じるのは許せないという気持ちはわからないでもないが、私としては、むしろ自分が立脚している地点からあのように創造的に考えていくほうが、誠実に思えるし、なによりも私にとってはその方がリアルに感じられる。
原典がこの世から消えてなくなる訳じゃないんだから、あんまり憎まないでほしい。
あの人達が憎まれると、なんだかあのお2人が好きな私まで、つらい。
なんて事を書いた私も、憎まれるのかなぁ…

―'98 11/3、柔らかい近況

私の楽曲を使用するとの事で、斎藤清美公演を見に行く。
大変に力の入った作品であった。
あとで話を聞くと、斎藤清美さんご本人にとっても、舞台美術を担当した井原由美子さんにとっても大変に重要な、ただならぬ意気込みで臨んだ決定的作品であったようで、このような「決定的起点」――私はそれを霊機(れいき/Spiritual Chance)と呼んでいる――となる作品に自分の曲が深く関わっているのを見ると、つくづく「ああ、私のやっている事は無駄ではないのだなあ」と思う。
会場にて、ネット上でお世話になったり、色々あったりして常々「会うことがあったら挨拶しなくちゃ」と思っていたダンサーの方々にも「はじめまして」を言えたのでよかったよかった。

―'98 10/20、柔らかい近況

〜10/20その1〜

ここ数年、体をこわしているため、余程のことがない限り--別に元気な頃も行き倒してた訳じゃないが--舞踊公演を見に行かなくなった。なので、ダンスの世界で何が起こっているのか、よく知らずにいたのだが、先日友人ダンサーから、大体以下のような話を聞いた。

●なんでだか良くわからないが、2年くらい前からダンス人口(見るほうより、むしろ踊るほう)が爆発的に増えた。(ヒップホップをはじめ、いわゆるクラブなんかで踊るたぐいの踊りがものすごく流行ったので、その影響が他の舞踊にも及んでいるのだろうかとも思うが、それにしても暗黒舞踏やコンテンポラリーダンス、果てはオイリュトミーまでやりたがる人が激増する理由はよくわからない。)
●で、その人達が大挙してさまざまなダンサーのワークショップにおしかける。
●総じてその人達はあまり真面目ではなく、ワークショップでも極めて緊張感に乏しく、ダンスの本公演を見に来てもロビーでかたまって我が物顔で騒ぎ、周囲に迷惑をまき散らしている。(ロビーでたむろする事自体は、狭い会場でもない限り別に悪い事でもなんでもないが、「わがものがおでさわぐ」のはたいへんに迷惑なことです)
●さらに、そういう『そこらじゅうのワークショップに顔を出しまくってるよくわからない大群』のなかから、「自分はもう舞台で踊れるんだ」と自作公演をうちだす人物が少なからず現われる。作品的にはまるっきり「ゴミ」だが、当人(達)は気付かないのか、気にしないのか、あいかわらず「会場のロビーでお互いを褒めあっている。」
●もちろんそんな人が続けていく筈もなく、現在そういう人々がじわじわと退去しつつある。あとには疲れ果てた先生(つまりワークショップ主催者側)と、質が地盤沈下したダンス界が残される。(粗製濫造が一度行われてしまうと、それが止んだ後もしばらくその悪影響が残るのは芸術の世界でもあることなのです。)
‥‥だそうだ。

ところが、また別の友人ダンサーにいわせると、
「大体はその通りなんだが、実はそういった若い連中--連中は「一つに括るな」と言うが大抵は"連中"としか呼びようのない連中--の公演を注意深く見てると、時折すごい奴がいるんだ。構成や技術はまだ稚いが、こいつぁ将来すげぇぜ、っていうような本当にすごい奴が、たしかにいるんだよ。30人にひとりくらい。
‥‥なるほど。なるほどなぁ。

〜10/20その2〜
私のCDを置いてもらっている、とあるお店が、
「売り場を大幅に縮小するか、もしくはやめちゃうか、考慮中」
だそうだ。
自主制作で音楽を出すようになって十余年、よくよく思い返すと、私の生息地域は年々歳々狭められてきているような気がする。
でも、これを愚痴ったら、複数の人間に
「今どき、こんな時代に、そもそも食えてるのが幸せなことなんだから、愚痴るな」
と怒られた。
そりゃそうだ。

―'98 9/15、柔らかい近況

ネット知人が「夜明け前双つ」に対してを書いてくれた。

―'98 9/8、硬い近況

蝉丸公演「火と風と水」は、終了いたしました。

―'98 9/8、柔らかい近況

多くの場所で、多くの人々が、「場がない」、と言っている。
S美術館の館長さんは「若い人に発表の場がない。自分のとこ(S美術館)なんかはそういう人の発表の場になればいいと思ってやってるけど」みたいな事を前々からおっしゃっていたが、どうやら若い人や無名の人(つまり私みたいな連中)に限らず、ベテランや有名な人々も、「特定の企画には参加できても、いざ自分のやりたい事をやろうとしても発表の場がない(こういう場合、稽古場や、制作アトリエの確保なども、かなり高名な方でも苦労するものらしい)」し、「仕事上〜作品制作過程上の付き合いはあっても、深く話して深く出会うような場がない」。
70年代みたいな人間関係(と言ってもリアルタイムで知っている訳ではないが)もあれはあれでうっとうしいんだろうが、社会構造が完成〜硬化してくると、こういう事が起きる。
政治も、経済も、精神構造も旧来のものは崩壊して来てるのに、芸術界までそれがまだ及んでいない。今だに硬化したままだ。
なぜだろう。
理由はいくつか思い浮かぶが、書かないほうがいいような気がするので、書かないことにします。

―'98 8/18、柔らかい近況

YAMAHAのQY700というシーケンサーを買った。
機能的にはシーケンス・ソフトにはもちろん及ばないし、自動伴奏やらGM音源やら私には必要の無いものが付いていて、それさえなければもっと小さくて軽いものになる筈ということもあり、長い間買い控えていたのだが、小さくて、トぶ心配がなく、クオンタイズが十分に細かくて、MTC/MMC等、プロの使用に耐えられる専用機というと、やはり他に選択肢は無い様だ。
QY700の最大の問題は、ディスプレイがとてつもなく眩しいという事で、人にも依るんだろうが私は正直いってあまりの眩しさにこのディスプレイを全く正視できない。(元々のバックライトが眩しいようで、コントラストをいじっても全く駄目。)とりあえず文房具屋で学生さんが暗記とかに使う濃い緑の下敷きを買ってきて、それを切ってかぶせる事で凌いでいるが、それでも2時間もディスプレイを見ていると目の疲労はすさまじく、しばらく本も読めない位になってしまう。
う〜んと濃い、ニュートラルデンシティーのフィルターでもあればいいのだが、まだ見つけられない。(照明さんの友達とかいればこういう時助けてくれるんだろうなぁ…)

―'98 7/21、柔らかい近況

愛用シンセ、クローマ・ポラリス2を修理に出して、直った
安物のアナログ・モノシンセが買える位のおかねがかかったが、やはりこれ以上のアナログシンセは自分にとって無いので、直して良かったと思う。
ただ、人にクローマ・ポラリス・を勧める気にはなれない。壊れやすいし、重いし。私だって、今の技術で本当にアナログシンセの音が出る、軽くて同時発音数が多くて、壊れなくて、エディットが楽で自由なヴァーチャル・アナログが出れば、いつでも乗り換える。
でも出ない。

―'98 5/26、柔らかい近況

私、という存在は、私、という存在の、一部に過ぎない。
わかっているつもりでいても、わかっているつもりにすぎない事に、時々気付く。
この苦痛は正しいか。
あの幸福は正しいか。
正しいかどうかを考える事は、正しいか。

―'98 5/14、柔らかい近況

19世紀、カスパール・ダビッド・フリードリッヒという絵描きさんがいて、私の曲はよく「その人の絵に似てる」と言われる。
自分ではまだよく解らない。…というか、フリードリッヒの絵を見ていると、見てはいけない自分を見ているようで、少し怖い。
どこがどう似てるのか、自分ではっきり意識化出来れば、かなり自分が違ってくるような気がしている。
時間がかかる作業だ。

―'98 4/14、柔らかい近況

「春愁(しゅんしゅう)という言葉を知ったのは、たしか中学生ぐらいだったと思う。
春の生命感に触れて孤独を感じたり、疎外感を感じたり、憂鬱になったりする感情の事だ、と教わった記憶がある。(あらためて辞書を開いたら、ただ単に「春に物悲しくなること」とか書いてあったが。)
この言葉を知った当時は「そんな感情もこの世にあるのか…」程度に思っていたが、この歳になって、ついに春愁を感じるようになった。
これでまた一つ世界が広がった訳だが、ちっとも嬉しくない。

―'98 4/7、柔らかい近況

最近、自分の言葉の「伝達言語」と「表出言語」の割合がかなり狂って来ている事に気付き、それがネットのせいだと気付いたので、程々にする事にしよう。

―'98 3/25、柔らかい近況

某知人のホームページを見ていたら、ふと曲が思いついたので、AIFFにしてその人にあげてしまった。
天使のはやにえの為のファンファーレ(.aif, 298K)
(C)1998 Mushio FUNAZAWA

―'98 3/17、柔らかい近況

私は昔、周囲に「お前はものすごく存在感がない。いつの間にか居て、いつの間にか居ない。"来る"ところとか、"去る"ところを、見たことが無い。」とよく言われていて、ずっとその認識のままでいたのだが、先日某友人ダンサーに、
「お前さ、あんまししゃべんないだろ。無口っていうかさ。でもお前、ものすごい存在感があるからさ、その存在感で無口でいると、若い連中とか、『シカトされた』って思っちゃう時があるみたいだぜ。気を付けたほうがいいぜ。」
と言われた。
‥‥‥(_ _;)

―'98 3/12、柔らかい近況

最近、
「いや、個性がある、自分のやりたいもの、やっているものが誰とも似ていない、というのはそれはそれで辛いものなんですよ。」
と言うと、自慢とか嫌味とかにとってしまう人が結構いることに気付いたので、気を付けることによう。

―'98 3/10、柔らかい近況

私は人ごみが嫌いで、何よりも混んでる場所が嫌いで、混んでる美術館など行ったところでうるさいわうっとうしいわで身も心もボロボロになって帰ってくるのがオチなのであった。
「具合悪ぃし、そんなに見たい絵ばっかじゃねぇらしいし、混んでるに決まってるし、行きたくねぇなぁ‥‥でもロセッティの絵が来てんだよなぁ‥‥ロセッティは見ときてぇなぁ‥‥しょうがねぇなぁ‥…」
と、薬飲んで、非常用の薬等を持って、その他もろもろ準備して、上野まで「テート・ギャラリー展」を見に行ったら、
休館日だった。
で、しょうがないので久々に上野公園の風に当たって、ハトの羽音やカラスの合唱を聞いたり、ヤ◯ザ風のおっさんに「おはようっ、あにきぃ。」と声をかけられたりして上野をあとにしたものの、そのまま帰る気にもなれなかったので、「あ、そうだ、あのシンセ、もう発売になってる筈だよな、音聞いていこう。」と秋葉原に行って楽器屋に入ったら、
なかった。
たぶん予約殺到で店頭までまわせないのだろう。
で、しょうがないので六本木まで出て、ストライプハウス美術館でクルド人の展覧会を見たり、館長さんや、そこに居合わせた写真家の生田目(なまため)さんと話し込んだりした。(「霊機」が売り切れになってた。早く納品せねば。)
ちなみに、半ばヤケで「ロセッティの画集買って帰ったろ」、と思って六本木で画集置いてある店を一通り見て回ったが、
なかった。
‥‥こんな日もある。

―'98 1/27、柔らかい近況

「そろそろ置いてもらってるCD売れたかな?」と表参道ナディッフに様子見に行ったら、かなり売れ残っていて、腹いせにクセナキスの「Electronic Music」っていうベスト盤みたいのを買って帰って聴いたら『あたり』だった。
その時ナディッフのIさんに、「何か最近面白いのありますか?」と訊いたら、
「これ、素晴らしいですよ、ほらね。この画集、あっと言う間に売り切れちゃって。◯◯◯◯さん (某画家氏) がこれ見て悔しそうにしてましたよ」
と、なんだか牛の輪切りのホルマリン漬けとか人が4〜5人入れそうなデカい灰皿とか、豚の頭をチェーンソーで切ってる写真とかの画集を見せられる(画家名忘れた)が、私には良く解らなかった。
Iさんが「シニカルを拒否してるのが素晴らしい。」と言ってなかったら、「こういうシニカリズムがいかんのだ。」と思う所だが、他ならぬIさんがそう言うんだからシニカリズム上の作品では無い〜つまりシャレでも戦略でも挑発のための挑発、武装のための武装でもない〜という事だろう。
判らない芸術があり、判っていないという事を判っている、という事は、「まだ成長できる」という希望でもあり、「未熟だ」という恐怖でもある。
こういう事は「好き嫌い」とは別の話だ。

について追記

「判る」と「好き」は別なものだが、こないだ明らかにこの人製の鮫のホルマリン漬けの写真を雑誌で見つけて、じーっと見てたらなんだか他のも見たく〜実物も見たく〜なってきた。多少は好きになって来たのかもしれない。
どうやらこの人はデミアン・ハーストという名前で、私とほとんど歳が変わらないらしい。(2/11)

 


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