文章リスト
2005年の近況選

―2005 12/20、柔らかい近況

いくつか得難い出会いも得ることが出来ましたが、
基本的には、苦しみの多い一年でした。
今年の私の様々な苦しみは、
現代に於いては、ありふれたものばかりでした。

もうすぐ禁煙1年になりますが、
ニコチン依存からの苦しい脱却。

両親が相次いで病に倒れ、
その看病と心配と、降りかかる夥しい些事雑事。
(↑関係者各位:各方面に不義理なほど顔を見せないのはこれが原因でございます。申し訳ございません。)

仕事上〜音楽上〜技術上の悩み、苦しみは、
他のミュージシャンの方々のアルバムやら、
雑誌に寄せられた原稿やらを読んだり聴いたりすれば、
世界中に遍在していることがよく判ります。
有名無名を問わず、
世界中のミュージシャンがほぼ全員苦しんでいる事柄に、
誰も対処することができないという現実。



元々、私は詩について、時折書くことはあっても、
読むとなると、非常に気力〜体力を消耗しますし、
一行一行読むのに時間もかかるので、あまり読まないのですが、
知人の薦めで『八木幹夫詩集(思潮社)』を読み始めて、
もう3ヶ月になります。
まだ7割くらいしか読み進んでいません。
この方の詩と文章を読んでいたら、
ご友人の詩人の死を悼む詩とエッセイが載っていて、
それを読むと、途方もない才能と知性を持った詩人が、
詩集を出すのに三百冊の自費出版、
百冊位をタダで配って、残りを廃棄してしまった、
その方は生涯、クラブの会計係として働いた‥
そんな話が出てきました。
以前、私が知遇を得ることが出来た歌人の方も、
大手新聞の俳句の選考委員などもやるほどの方でしたが、
やはり三百冊自費出版で、周りにタダで配る、
それも生涯に何冊も出せるものでもない、
というお話を伺ったことがあります。
‥もしかしたら、やがては、
音楽もそんな感じが普通になるのかもしれません。

夜歩いていて、ふと気づくと、
銀色の満月に射抜かれていました。

丸い銀色のシンクロニシティだけが、
謎のまま繰り返される一年でもありました。

―2005 12/7、柔らかい近況

最近、忙しくてあまり外出できません。
そのうえ、ネット通販に慣れてしまいました。
益々、様々な“現場”が見れなくなって来ましたが、
そもそも、時代がこうなってくると、
現場ってどこなのかもよく判らなくなります。
私は私の現場を生きれば、それでいいのかもしれません。
でもそれは、本当に、いま、ここなのでしょうか。
よくわからなくなります。

―2005 11/23、柔らかい近況

胸に手を当てると、
暖かかった自分の手が、
みるみる冷えていく。
そんな孤独もあるものだ。

―2005 11/10 、硬い近況

このホームページから送信できるメールアドレスが変わりました。
尚、舟沢作品取扱店各位に於かれましては、
通常ご連絡に使用しているアドレスに変更はございません。

―2005 11/10 、柔らかい近況

多忙でなかなか更新できません。
といいつつ、最近匿名のブログをはじめました。
(見つけられないと思います。あしからずご了承ください。)
最近、よくホームページとブログをリンクして、
ホームページは作品紹介や購入案内や公演案内だけにして、
それ以外はブログに書き付けているのを見かけます。
私もああしようか、と思うこともありますが、まだまだ考え中です。
やはりブログとホームページが相互リンクされてるのはどこかしら不自然ですし、書いた内容をローカルに保存してもおけません。無料ブログではある日データが消える事もありそうな話です。
それに、ちょうど手書きがワープロになった時のように、文体も変化しますし、話題も変化します。
ブログとhtmlを完全に融合させてるサイトもありますが、あんな技術は私にはありません。
アーティストによっては、公式ホムペ以外にツアー用ブログ、日常ブログ、趣味ブログなどカテゴリ分けもしないで無数のブログを持ち、さらにあちこちのサイトに寄稿もしている超人もいらっしゃいますが、あんなに器用でもありませんし。
Webを完全に放置して、殆どネットを使わずに活動なさる方も意外と多いようですし。
さて、どうしましょう。

―話はがらっと変わりますが、
ある種の事柄は、意志の強さとは無関係というか、
むしろ意志や衝動を断念することによって成し遂げられることは、古くから言われていることです。
最近はこの考え方はとてもすたれましたし、
そもそも音楽家が音楽家でい続けることが出来るのは、
ただただ意志の力のみでしかない、という人もいます。
私自身の生活実感としては、「意志し続けてないと途端に破綻しそうだ。」と、「ここまで来たら意志は無意味だ。台風で飛んでくコンビニ袋みたいなものだ」という思いが半々です。
諦念を抱きつつ、無力感に苛まれ、強く意志して自分にムチうち、それでいてどこか淡々としています。
考えてみれば、どの業種にしろ、今は多かれ少なかれ皆さんそうかもしれません。

―久しぶりの更新なので、もう一つ話題を。
最近、ネット上で私を話題にして下さる方が多いようで、
ありがたい限りです。
どうも私の音楽を聴いてくださる方というのは、私の音楽を内緒にしておく傾向があるようなのですが、宣伝なんて、クチコミでしか出来ませんから、大変ありがたいと思っております。
ちょっとドキッとしますけどね。このご時勢ですから、「自作自演と思われたらどうしよう」とか。
あと、アクセス・ログを見ると、会員制のSNSの中のリンクから多くの方がここに来てくださったりしてますが、
私自身はそのSNSの会員ではないので、どういう話題になってるのか、ちょっとおっかなびっくりだったりもします。
最近は掲示板で誰かを話題にしたりすると、かなりの確率で“自作自演”と思われるようですので、
「皆さんどんどんあちこちに書き込んでください!」とまでは正直思いませんけれど、
何しろありがたいことです。
ほんと。クチコミ以外にないんですから。ほんと。

―2005 10/5 、柔らかい近況

身動きが取れなくなる前にしておく事がある、
何か良くない状況になる予感に駆られて追われるように生きている、
冬眠の準備にいそしんでいる、

―最近、そんなことを言ったり書いたりしている人が多いことに気付く。

村上春樹の描く“世界の終わり”の冬のような、
ほとんど何もない、何もできない世界が近づいている、
そう予感しているアーティストが多いのはなぜか。
社会的に、すでに来ることが予測されている事柄と関係があるのか。

もし無いのだとしたら

―2005 9/7 、柔らかい近況

心配事と考え事の中で眠り、
散乱する表象の瓦礫から目が醒める。
日々の生活から受ける印象を減らしたい。

目覚める際に、まぶたを閉じた状態で、
蜂の巣のような、珊瑚の骨のような構造が見える。
あれは何だろう。

忙しくて読めずにいた本を開いたら、
蜂の巣と水晶の六角形構造の関連と“力強さ”について書いてあって、
じゃぁなんで水の結晶は六角形なんだ、という思考に取り憑かれて、
ページをめくれなくなってしまった。

最近、知人/友人が何か公演をすると、
ほぼ全て、ものの見事に“仕事で絶対見れない日”である。
先日、一つ見れる公演があったので、
行ったことのない劇場まで観に行ったら、
劇場までの道路の路面が、大きな六角形のレンガで出来ていた。

六角形の隠された意味。
そんなもの、ネットで出てくるはずがない。
そう思って検索もろくにしていなかったが、
時折見に行くホームページに、
「ミツバチとプラトン立体」なんていう講座が紹介されていた。

経験では、こういう場合、どんなにもがいても、
謎は、謎のまま残る。
一番ましな場合でも、おぼろげに“意味”に気づくのは、
全てが終わってからである。

―2005 8/30、硬い近況

ロシアやドイツへの舞踏ツアーでMAD_IN_JAPANというのがあるそうで、
そのツアーで赤色彗星館が舟沢の楽曲を何曲か踊って下さるそうです。

―2005 8/30 、柔らかい近況

--今の時代にブレヒトとか連れてきたら、どんなことを言い、どんなものを作るだろう。
‥ふと、そんな夢想がよぎる。
もちろん、そういう夢想に意味は無い。
似た時代など、たぶん存在しない。
どこの文明が滅ぶ時だって、こんなではなかったはずだ。
社会から離脱したって世界には触れられないかもしれない。
つまり、人間が人間に理解できないものを作って、人間を殺しつつある。
あたりまえだ、それこそが人間だ、と笑顔で言う人もいるが、
なんだか私には信じられないのだ。

―2005 8/9、硬い近況

トップページ無題詩を変えました。
今までの無題詩は削除録にあります。

―2005 8/9 、柔らかい近況

ひとは餓死する前に、
食べ物を噛む力が無くなるのだそうだ。

―2005 8/2、柔らかい近況

意志のための“下降”」を発表したとき、
「J・ケージと比較されたらやだな」、と思っていたのですが、
最近になって、そんなにいやでもなくなってきました。
「“オレはJ・ケージと比較される程偉大な人物だ”って思ってるって思われたら嫌だな」という、
ごくありふれた不安だけになりました。
ケージにしろ、生成音楽を愛するイーノにしても、
最近、つくづく「西洋人だなぁ」と思うようになってきました。
実は、西洋と東洋には絶対に越えられない“最後の壁”みたいなのがあって、
その最終壁に触れたのが、4′33″だったり、ディスクリート・ミュージックだったり、私の「意志のための“下降”」だったりするんじゃないかと思うようになったのです。
そもそもケージの場合、「休符は実在しない」と“悟っちゃった”けど、
それはじつは西洋人にしか出来ない発想ではないか、ということです。“無”は実在しない、ということにもつながっちゃいますから。
西洋と東洋の越えられない最後の壁に触った作品って、音楽に限らずとても少ないですね。特にこの種の壁って、音楽の場合、触らずに飛び越えちゃっても軽薄にはならないし、むしろ飛び越えるのが音楽の役目みたいなところがあるので、普通はわざわざ触らないのかもしれません。

―2005 7/26 、柔らかい近況

―今回は技術的な話です。
MACからWindowsに乗り換えてから一年弱。
去年買ったソフト/ハードはほぼ全てメジャーアップグレードしてしまいました。
たった一年弱で状況も変わり、“MAC戻り組”なる人々も現れたそうです。
電気で音楽やる人や、ライブよりも録音することが自らの表現である人たちは、この変化にずっとずっと苦しんでいます。
「俺はこのシステムにとどまる。」
と決心したところで、パソコンなんて簡単に壊れます。
E−muのハードサンプラーを購入したのだって、つい昨日のことのようですが、そのサンプラーの中のIDE―HDはいつ壊れても不思議ではありません。
しかも、E−mu独自のフォーマットをしなければならず、そのフォーマットでは9G以上のHDは動作保障されていないので、事実上新品には買い換えられません。
E−mu、必死で覚えたんですけど、Halion3の方がずっと難しいし、手弾きはやはりE−mu(つまりMIDI)でやりたいので使い分けがとても煩雑です。せめて安定して動くSCSI―USB変換ドライバがあれば波形のやり取りが快適になるのに、と思うのですが、今使っているもの以外は無いようです。
SoundForgeがVer,8になって、慣れればPeakと殆ど遜色なくなりましたけど、バグが多いので7と8を使い分けています。
より良い音で、より正確にCDを焼けるかも、と思って、CD-Architectのマニュアルを悶絶しながら読んでいるのですが、
次にアルバムを出すころには、高音質でCDを焼く知識や技術なんて、意味がなくなってるかもしれないですね。
「10年や20年で古くなるような曲は始めから世に出さない。」
そう思って今まで作って来たんですけど、
CDそのものが時代遅れになっちゃうかもしれないとなると、気長に売るつもりでいたCD、血を絞るように作ってきたCDの在庫が、ただの産廃になっちゃうかもしれず。
仕方ない、仕方ない、と自分に言い聞かせつつ、
この世に出たがってる音に、耳を済ませ続けていくのでしょう。

―2005 7/19 、柔らかい近況

音楽のような夜明け、
音楽のような夕焼け、
音楽のような夜空を、
もう何年見ていないのだろう。

―2005 7/12 、硬い近況

否定の果て」、「夜明け前双つ」、「蝉丸の為の音楽」、
それぞれのアルバムページに試聴MP3を追加しました
これで全アルバムが、何らかの試聴が可能になりました。

―2005 7/12 、柔らかい近況

近所のレンタルDVD屋がつぶれてしまって、
映画が観たくなって、映画館へ行きました。
たどりつく前に、持病の腰痛がどんどんひどくなって、
「この痛みでは映画館の椅子に座るのは無理だ」
と判断し、観ずにそのまま帰って来ました。
行きつけの、やっと“出会えた”鍼灸師の先生が入院してしまって、
最近、腰痛のケアをしきれないのです。
健康じゃないのは寂しいものです。
タバコを辞めて半年が過ぎましたが、
まだ時々発作的に吸いたくなって、ガム噛んだりしてます。
タバコがないのも寂しいものです。
―仕事のない日は、あてどなく波形編集などしています。

―2005 7/5、柔らかい近況

かみさま。
雲が流れて行きます。
木の枝が静かに空を見上げています。
もう私しか気づいていません。
だれにも教えてあげられません。

かみさま。
このあたりのいきものは、
もうほとんどいなくなってしまいました。
モンシロチョウも、シオカラトンボも、
背筋を伸ばした軍人さんの幽霊も、
きっと誰にも名前をつけてもらえなかった大きなおおきな妖精も、
みんなみんないなくなってしまいました。
もういたことを思い出す人もいません。

かみさま。
雨音がきこえます。
もう だれも きいてません。

―2005 6/28 、柔らかい近況

ストラヴィンスキーからマルタンメソニエまで。
宮城道雄からシュトックハウゼンまで。
未来から現在に向かって吹いてきて、
過去へ遠ざかっていく逆流時間(すなわち“予感”)を掴むのは、
たいていの場合、まず音楽。
音楽に何かが起きてしばらくすると、
それと似たことが世界のあちこちに生じ始める。

だから私は、かなり長い間、世の中がめちゃめちゃに変化していることに気づかなかった。
もう十年以上もの間、「世の中が変わらない、変わらない」と思っていたのだ。音楽だけを見ていたから。

音楽によってあらかじめ示されない世界の変化。
そんなもの、想像だにしていなかったのだ。
恥ずかしいことではあるが、いまだに「なぜこんなことが起きるんだ」という思いが抜けない。音楽抜きの時代変化だなんて。時代の変化に翻弄されて悲鳴を上げる音楽だなんて。
数年前と今の音楽の僅かな差は、逆流時間を受け取ったものではない。ヒット曲のメロディがやけに短く区切れるようになったのは着メロ使用を見越して作ってあるからだし、どれもこれもすでに生じた何かの余波に音楽が対応しているに過ぎない。

これが何を意味しているのか、
“あらかじめ音楽によって示されずに世界が変化する”ということが、いったい何を意味しているのか、
私には判らない。

あとになって「なんてバカなことを書いてるんだろう」と思うかもしれないが、ほんとに判らないのだ。

もしかしたら、新しい時代がやってくるんじゃなくて、
時代というものそのものがもう2度とやってこないんじゃないか、
と思うことがある。
あまりに恐ろしいのでそれ以上考えないし、
もし仮にそうなのだとしたら考える必要もない。
沈む船の中で、落ちる飛行機の中で、どう振舞うか。
それだけのことだ。

まてよ?
人生に“死ぬまでの間にいかに振舞うか”以上のことが、
なぜ今まで可能だったんだろう?
あれ‥?

‥‥混乱してきました‥…

―2005 6/14 、柔らかい近況

真夜中に目を閉じて雨音をきいていると、
空気と、水と、夜と、空が溶けて一つになって、
雨の夜と自分自身との区別もなくなってしまう。
そんなふうに、私は歳をとってゆく。

―2005 5/31 、硬い近況

for Butoh Vol,1 の試聴MP3を増やしました。

―2005 5/31 、柔らかい近況

無気力に鬱” と、 “めまぐるしい多忙” というのは、両立しないとばかり思ってました。
めったに無いことですが、ごくまれに両方生じうるというか、両立しうるものなのですね。経験している今この瞬間も、思考では「ありえない」と思ってます。
ところで、試聴MP3というのは、多いほうがいいんでしょうか?少ないほうがいいんでしょうか?
私自身は、「試聴が無かったら買わなかった」CDと、「試聴があったら買わなかった」CDが同じくらいあります。
一方に「たとえ試し聞きでもタダだなんてけしからん。自分の曲であってもそういうことをやる人間がいると、“音楽を聴くのは有料なのだ、そうじゃないと音楽家は食っていけないのだ、食っていけなければいい音楽は作れないのだ”という事を理解しない人間が大量に発生する。大量に発生すると音楽家全員に迷惑がかかる。だから自作曲であっても試聴用に短く編集してあっても、誰も無料配信などしてはならない。」という考えがあり(←まじです。かなりいます。)
もう一方に「聴いてもらえば聴いてもらうほど宣伝になるものだ。多くの人が聴けば結局はそれが一番の宣伝になるんだ。第一自分の曲なんだから何したっていいだろ。」という考えがあります。
この両極端の中で、一人ひとりスタンスを決めてくわけですが、
正直、正解なんて判りません。
オンラインレーベルっていうんですか、最近だとMP3とジャケットに該当する画像だけで構成されていて、CDなどの“実物”がもはや存在せず、しかもお金が「募金制」というサイトとかありますね。
あれ、これを書いてる現時点では、私にはインフラ不足に思えます。
気に入って、「あ、この人にはオヒネリ投げたい。聴かせてもらったお礼と、今後の活動資金の足しにでも、ちょっとお金払いたい。」と思って「募金」をクリックしたら、海外の英語サイトに飛ばされてクレジットカード番号の記入を要求されて、一気に醒めるというか、萎える経験をしました。(つまり、払いませんでした。)
この世の音楽そのものは、ここ十余年、それほど大きな変化は生じていないと思います。
なのに、この壮絶な過度期。
何が正しくて何が善で、何が間違いで何が悪か、変わりきってから検証する以外にないのかもしれません。
各自が自分の良心の声を聞きながら、悩み悩み行動していくしかないのでしょう。

―2005 5/10 、硬い近況

for Butoh Vol,1 の店頭販売が始まりました。(お待たせしました。)

―2005 5/10、柔らかい近況

タルコフスキーの映画「鏡」のラスト。
あの、判らないけれど、判らなくてもいいような気がしてくる印象的なラストシーン。
久しぶりにDVDで観ていて、このラストは、
「未来への希望に満ちた夫のわきで、妻が、“ずっと未来の年老いた自分自身が、少し未来に自分が生む子供達の手を引いて草原を歩いていく姿” を見ながら、黙って涙している」
シーンであるらしいと気づいた。
――観終わって思いに沈んでいたら電話が鳴った。父だった。
母が倒れて入院したそうだ。
しばらく更新が最小限になるかもしれません。ご了承下さい。

―2005 4/5 、硬い近況

文章類に詩「毎晩蛇に連れ去られ」を追加しました。
神秘学(特に気質と四大の関連)を学んでいる方ならお気づきになると思いますが、
タバコを辞めたらこんなのが出てきちゃいました。

―2005 4/5 、柔らかい近況

忙しくても毎晩のように無理してクラブに行ったり、裏でこっそり吐きながらはしゃいでお酒を飲んだり、CD聴く時にジャケットに書いてあるスタジオの名前やバックミュージシャンの名前をムキになって暗記したり、楽屋におしかけて「イェ〜ィ!」って抱きついたり‥‥‥
‥‥そういうのって、別に好きでやってるんじゃなくって、人脈作りのために必死でやってるんですね、大抵のミュージシャンは。

自分の内面やシンセの探求に夢中になってて、20年くらい気づきませんでしたよ
いまさら気づいたって遅いですよね。
もっと早くに気づいてたって性格的に出来やしませんでしたけど、
出来ないってことはミュージシャンに向いてないってことでしょうかね。

20年くらい気づきませんでしたよ。自分の音楽に必死で。
‥人生間違えましたかね?私。

―2005 3/29 、硬い近況

文章類に「時間の逆流部分について」を追加しました。

―2005 3/29 、柔らかい近況

―また倒れました。
激しい回転性のめまい→倒れる→治る→起き上がろうとする→途端にめまい→倒れる→(以下くりかえし)
倒れてる最中はめまいがひどいだけで意識はあって、
「眼が開けらんねぇけど救急車呼べるかなぁ、子機どこだっけ、床に落ちてるからどっかに這ってけば手に触れるよなぁ」とか考えてました。
しばらくして症状がなくなってから、ネットで症状を検索してみたら、
「良性発作性頭位変換性めまい」
ってのが一番近い感じがしましたが、小脳や脳幹の内出血に似てなくもありません。
もう1ぺん起きたら病院に行こうかと思うんですが、なにしろ気が重い
95〜96年頃の様々な疾病同時多発期に思い知らされたんですが、
お医者さんが的確な診断をするのって、極めて稀です。
ある病院と別の病院で、別のMRI結果が出たり、
ある医師は「○○です」と断言するけど、別の病院では「○○なんてありえないよ」と笑われたり。
誰一人同じ診断をする医師がいないので、いろんな検査結果をもとに、自分で自分を診断するしかない。
それでいて検査に莫大な時間を持っていかれる。半年なんてザラ。
(あ、その方面は俺のほうが詳しいよ)とか思いながら神妙な顔で説明を聞くなんてことすら、慣れてしまいました。
その頃から、私は病院を、「高度な検査オペレータ兼高度な薬屋さん」と思うようになってしまいました。幼少よりあれほど頼ってきた“お医者さん”を、です。
考えてみれば、生まれてこのかた、病院が的確な診断と最善の処置をしてくれた記憶って、喘息とオヤシラズ、それにインフルエンザなどの“定番もの”だけだと気づいてしまいました。
どこぞにPC(プライマリー・ケア)が簡単に受けられる町医者がいるといいんですけどねぇ。今一番信頼してるのは隣町の鍼灸師(兼禅僧)だったりします。私の腰痛を治したのだって、結局この人ですから。

―2005 3/22 、柔らかい近況

珍しい経験をしました。
2枚組のCDを買ったら、
中に1枚しか入ってませんでした。かたっぽ無いんです
“初めから1枚しか入ってなかった”なんて証明のしようがないんですけど、
ショップは返品/交換に応じてくれました。よかった。
しかし‥このレーベルがどこの工場に発注したのか凄く知りたい‥‥

―2005 3/15 、柔らかい近況

やむをえない事情で、ホームページを作るツールも換えることになった。
使い勝手がぜんぜん違うので、わずらわしい事この上ない。
このツールを買う際に、最近HTMLエディタ買うならどれかを詳しい人に訊いたら、

いまどきHTMLでホムペってこと自体が古くてうざいだけじゃないですか。
ドメイン取って、
サーバ借りて、
ブログインストールしちゃえば、
もう何でもありじゃないですか。

‥‥すいません、それ却ってうざいです。てゆうかおっしゃる意味が半分くらいしか判りません。ごめんなさい。

きっと、ドメイン取得して、レンタルサーバを借りて、ブログツールをインストールして、日記からオンラインショップまで全部自分でやっちゃうのが今は一番いい方法なんでしょう。(どれ一つやったことないので全然判りませんけど)
ただ単に私がめんどくさがりなんでしょう。
どこぞで無料ブログくらい持とうかとも思ったんですが、今まで書いてきた内容とフォーマットが違うっていうのもな、とか、無料ブログがいつまで続くんだ、とか考えると、もうしばらくこの調子でいった方がいいと思うようになりました。
‥と、ここまで書いて、少しこのHTMLエディタにも慣れてきましたし‥

―2005 3/9 、柔らかい近況

ここ数週間、極端にシンプルなものが聴きたくなって、
アルヴィン・ルシエニニ・ロッソばかり聴いています。
‥自分でもこの組み合わせはイタいと思われるのかな、と思います。

―2005 3/8 、柔らかい近況

昔、アフリカのある国から来た方がTVでおっしゃっていました。

「自分の国では、どんなときでも歌う歌がある。
どんなに楽しいときでも、どんなに悲しいときでも、
大切な儀式のときでも、普通に暮らしているときでも、
そのうたを歌う。」

つまり、その国〜少なくともその方の育った部族〜では、
歌や音楽は生涯に1曲でじゅうぶんだ、ということです。

録音技術が現れる前で、貴族などのお金持ちじゃなくて、
都市部に住んでいない人。つまり、歴代の人類の大半は、
だいたい生涯に何曲くらい音楽を聴いたり歌ったりしたんでしょうか。
たとえばの話、ざっくりとおおざっぱに考えて、

幼少時に歌うわらべ歌5曲、おかあさんの子守唄1曲、
毎年お祭りで歌ったり演奏したりする曲が4曲、
旅芸人が2年に1回くらい来て3曲歌ったり笛吹いたりするとして、
死ぬまでに30回旅芸人を見物すると90曲、
作業中に歌う労働歌みたいのがあれば3曲、

以上で、計103曲
…曲数換算だと、アルバム10枚分くらいですか。
それらを口ずさんだり頭の中で鳴らしたりしてローテーションさせると。

もしそれが仮に、文化的栄養失調だとして、そしてそれが是正出来るものと仮定して、
そして音楽を10倍摂取するとしても、
生涯でアルバム100枚分。
――私がなにを言いたいのか、お気づきの方はお気づきと思います。
あまりにもみもふたもないのでこれ以上は書きませんけど、、、
出す価値があると自分で確信出来るものだけ出したいものだなぁ、と思う今日この頃でした。
(こういう書き方でもまだ過激すぎるのかなぁ‥…)

―2005 3/1 、柔らかい近況

先週の続きですが、とりあえず、TVとHD録画機を買い替えました。
まぁ、買ってみて判ったこととか、使用感とかは、
書き出したらきりが無いのでやめますけど、
あれ??」って思ったのは、
電器店で希望する大きさのブラウン管式のテレビを見たら、
黒いテレビが一つもなくて、みんな銀色だったことです。
うちのテレビがでっかい銀の箱になっちゃいました。
HD録画機も同じメーカーのにしたら、それも銀色。
…なんで画像見る機器がシルバーなんですかね?
さすがにブラウン管の周り〜つまりテレビの前面〜が銀色なのは見てて耐えられないので、
黒い紙を枠状に貼っちゃいました。
あと、今回のものに限らず、ここ数年の電気製品は光がうるさすぎです。
TVも、HD録画機も、ゲーム機も、モデムもルーターもLEDが眩しすぎるので、
あらかたポストイットを切って貼って、光を弱めてます。

あ、それで思い出しました。何年か前、FAXを買い替える時に、
シックな色が欲しいのに、どのメーカーもどのメーカーも、全部パールホワイトで、パールホワイト以外に一切選択肢がなかったことがありました。(若者の間でそういう色の携帯電話とか、マニキュアとかが流行ってた頃です。)
そういうのって、いったいどういう理由で流行るのかわかりませんが、ユーザーの嗜好で流行ってるわけではないことは確かです。(少なくとも1種類になる筈はないですよね。FAXの色が。)
それにしても…たとえば流行ってる携帯電話と同じ塗料で済むとか、そんなような理由で、
本当に選択肢が一つも無くなるくらい勝手に流行っちゃうものなんでしょうか‥?
恥ずかしながら、この辺の事情、ぜんぜんわかりません。…買う側に理由がない流行‥‥

―2005 2/22 、柔らかい近況

――夢を見た。

古いビルの1室。古ぼけた白い壁。
古いものばかりの電器店。客は私しかいない。
古いカセットテープ。モノラルのラジカセ。
短波も聴けそうなラジオ。14インチの古い古いテレビ。
ほこりをかぶったCDもワゴンに何枚か並んでいる。
どこもこれも、古くて、馴染んでいて、
そして使い物にならないものばかりだ。
私は「なじみのものばかりだけど、これを買ってももう使えないし、これも買ったって意味ないし…」
と残念そうに品物を眺めている。

目が覚めて、電気毛布のスイッチを切り、
コーヒーをいれ、パソコンを起動し、日々の暮らしに戻っていく。
インターネットが一般化してから、
テレビを見る時間はすっかり減ってしまった。
だから地上波デジタルが一般化するまで“持たせよう”と思っていたのだけれど、
テレビも、VHSも、いよいよ壊れてしまったようだ。
もう録画だって殆どしないので、録画機器はいらないかとも思うが、
仕事柄、「はやりものを知っとく」ためにも、HD録画機を
買ったほうがいいのかもしれない。でもHDなんて何年もつんだろう。
テレビ。画質にはこだわらないが、動きににじみが出るのは目が疲れるからイヤだ。
だから液晶は極力避けたい。でも腰痛持ちだから重いものも避けたい。
いずれにしろ、(私にとって)たかがテレビ、たかが録画のために、
かなりのお金と時間と手間が必要になる。今時、捨てるのだってただごとではない。
さてどうしたものか。

いつの頃からか、ラジオを全く聞かなくなった。
深夜にFMをつけてみても、あまりのうるささに30秒と聞いていられない。
やっと“普通に聴ける”インターネットラジオを見つけて、
いくつか“マイステーション”リストに加えていたんだが、
再生ソフトをアップデートしたら全部消えてしまって、
“音楽”をクリックすると“購入ボタン”が並ぶようになってしまった。

屋外の生録用に買ったMDの音質や使い方に慣れて、3〜4年といったところか。
この歳になると、3〜4年前というのは“ついこのあいだ”である。
非圧縮で録れるポータブル機器もやっと現れたので、
MDが壊れたらそれを買って、使い方を憶えて、生録するのだろう。
でも多くの音楽家同様、私もまた、音楽を持ち歩く気にはなれない。
しかし多くの人は、通勤などの“移動中”にしか音楽は聴かない。
“聴く”ということがどういうことか、もう殆どの人が、知らない。

枕元のCDラジカセも、なんとなく調子が悪い。これも買い替えか。
再生、ストップ、next、prevのボタンしかないCDラジカセ。
液晶も光らないから、枕元でいやな光を見ないで済む。
ボタンが少ないから、真っ暗闇でも操作できる。
自動EQもないので、ヘンな低音も出ない。
今どき、そんなものが売ってるんだろうか。

固定電話機も、電気カミソリも、そろそろ限界にきてるし。

古いものが好きなわけじゃない。
あたらしいものに希望を感じないだけだ。

―2005 1/25 、柔らかい近況

前回、前々回の続きです。
まず、路上でぶっ倒れてケガした件ですが、まだかなり痛いんですけど、骨は無事だそうです。
整形外科医に「それより、走ってて気ぃ失う方をどっかで診てもらえ」と言われました。
実は、一日50本吸ってたタバコをやめて一ヶ月ほどなので、その関係〜体と酸素の関係を脳がまだ把握してないとか〜だろうと勝手に思ってるんですが、
「禁煙の禁断症状に“気を失う”ってのはないので脳神経外科でMRI」って何人かに薦められました。(ちょっとめんどくさい…MRIって予約して一日がかりなんだもん)
あと、厄年にのっけからコレはさすがにヤバイと思って、厄除けに行って来ました
たまたま今年の元旦に近所に見つけた、建て替えたばかりのピカピカ神社で、ご神体(?)のがピカピカで、銀色の太陽みたいでした。
さらに、私が先週ぶっ倒れた路上の脇を通る線路に高架橋から自動車が落下して、全国区のニュースになってました。(死者が出なくてなによりですが、それでも乗ってた方々は大怪我だそうです)
なんだか知りませんが、あの駅前、最近災いスポットと化してるようです…
てゆうか、このシンクロニシティーは何なんでしょう??コンステレーション読めないです。

―2005 1/18 、柔らかい近況

予定していた忙しさや、覚悟していた忙しさに、
予想だにしていなかった忙しさがいくつも加わっちゃって、
もうなにがなんだかわかりません。
各方面にメールレスしておりませんが、
この場をかりておわび申し上げます。

今日も、朝千葉県で目が覚めたら、“すぐに発送しなきゃいけないCD”の連絡が入ってて、
山梨県に行ったら数日できなくなるので大慌てで荷造りして、発送して、
山梨行くために駅に向かってダッシュしてたら、酸欠(か何か)で路上にぶっ倒れて、2〜3分失神してしまいました。
やっと山梨についたはいいけど、思ったより派手に転んでたらしくて、体中痛くてしょうがないし、服も数カ所やぶけてるし、トイレ入ったら下着とか血だらけだし。
とりあえず胸が痛くてしょうがないので、肋骨のレントゲンとか撮りたいんですけど、これから数日間山梨に泊まり込んでひたすらゲーム音楽バイトなのでした。
痛いよぅ。

―2005 1/4 、柔らかい近況

太陽を初めて銀色だと感じた。
なぜだろう。


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