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このアルバムは、ある種の入り組んだ「前後対称」になっています。
1「板の間」
音風景。影のような誰かが何か作業をしている。
人の気配のない、空気感のない古い街並み。
一人板の間に座って、気配のない影のような誰かの作業の音を聞いている。
夢の謎、あるいは謎の夢のような。
この曲は公演前と公演後(客入れ/客出し)の為につくられたもので、
原曲は38分位あるのですが、
本アルバムではそこから一部を抜き出して収録しました。2「雲1」
月は見えない。
月に照らされ、ネガ状に輪郭の際立った雲が動いていく。
あるいは雲は静止しているのかもしれない。3「月化粧」
月に照らされたすすき野原のイメージ。
苦悩の果てに唐突に意識がクリアになる時のような、
集中して集中して、あるイメージなり意識状態なりを獲得するような、
混乱や濁りを振り払い、祓い切った時のような緊張した、清澄なる世界。4「AC」
「清澄なる世界」に襲いくる「振り払われた存在達」の復讐。
大人であろうとした時に意識から祓われてしまった内なる子供、
笑顔になることによって心から祓われた内なる悪意、
化粧によって迫害された皮膚。
蝉丸が僅かな動作によってテルプシコールをすすき野原にかえようとする時、
中央線は邪魔になる。
蝉丸がテルプシコールを僅かな所作によってすすき野原にかえた時、
中央線は私達に復讐するだろうか。
私達は“化粧”をして暮らさざるをえない。
不浄なるものを祓って生きていかざるをえない。
祓わない人間は、祓おうとしない人間は、醜い。
しかし、祓った存在も自分でかかえて生きていかなければならない。
その復讐は受けなければならない。
それは自分が振り払った自分自身の一部なのだから。
それが出来ずに、振り払った彼等を忘れると、
奇妙に安っぽく、薄っぺらい清浄さの中で、
醜いものを他人に押し付けて生きて行く事になる。
タイトル「AC」は、
1、人間にある本能的特性のうちの一つ、「アダプティド・チルドレン」、
誰かに守ってもらおうとする本能、自分の欲望や願望を抑制してでも周りに順応しよう、
適応しようという本能の意味と、
2、「アダルト・チルドレン」、親がアルコール依存症だったなどの原因で、
子供時代に子供でいられなかった人、この2つの意味が大きい。
作ってる最中は「交流電気」のACと思われたらいやだな、と思っていたが、
以上のような事を考えるにつれ、「交流電気と思う人がいてもいいな」
と思うようになったのでした。実際の公演では、4「AC」と5「雲2」との間に、「ここで待っていた」という曲が挿入されました。
この曲は、CD「蝉丸の為の音楽」に収録されています。
5「雲2」
「雲1」とネガ/ポジの関係にある曲。
雲1が外から内に取り込んだ心象風景なら、雲2は心象風景を外的風景に転写したもの。
不思議な事に、ネガをネガに反転しても、それはネガのネガであって、ポジではない。
このような奇妙な逆転現象は、
作品作りにおいても、日常生活においても、人類史においても、
個人の人生の前半と後半においても現われる。
この曲の録音中、何度も激しい不安発作に襲われ、作業の中断を余儀なくされた。
いくつかのパートを録音して重ねるにつれ、不安は薄らいでゆき、
最終的な出来上がりの中には、その異様な不安は僅かな痕跡を残すのみとなったが、
あの圧倒的な不安は一体何だったのか、今でも答えが出ない。6「板の間(再)」
38分ある本来の「板の間」から、1曲目とは別の部分を抜き出したもの。
1曲目より音量を小さくしている。
この曲が最後に入っているのは、
「このアルバムの音世界から無事還ってくるため」でもあるし、
「2度と還ってこれなくする」ためでもある。
よく「道は螺旋状を成している」というが。Copyright (C) 2003 Mushio FUNAZAWA
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